みけの物語カフェ

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0008「女の切り札」

「女(おんな)の切(き)り札(ふだ)」(2009/06/21)

 純子(じゅんこ)は一人(ひとり)、部屋(へや)でパソコンとにらめっこをしていた。彼女(かのじょ)はフリーのライターをしているのだが、締切(しめきり)が間近(まぢか)に迫(せま)っていてあせっていた。今(いま)、彼女(かのじょ)の頭(あたま)の中(なか)は完全(かんぜん)に煮詰(につ)まっていて、昨夜(ゆうべ)から一睡(いっすい)もしていないのだ。こんな時(とき)、彼女(かのじょ)は豹変(ひょうへん)する。
「ただいまぁ…」夫(おっと)の隆(たかし)が残業(ざんぎょう)を終(お)えて、静(しず)かにドアを開(あ)けて帰(かえ)ってくる。
 この二人(ふたり)、最近(さいきん)結婚(けっこん)したばかりなのだが、彼女(かのじょ)の仕事(しごと)が立(た)て込(こ)んでいて、いまだに新婚(しんこん)生活(せいかつ)を味(あじ)わっていなかった。この部屋(へや)も彼女(かのじょ)が引(ひ)っ越(こ)しが面倒(めんどう)だと言(い)うので、彼(かれ)の方(ほう)から越(こ)してきたのだ。でも、隆(たかし)は満足(まんぞく)していた。だって、彼(かれ)が住(す)んでいた部屋(へや)より、こっちの方(ほう)が断然(だんぜん)広(ひろ)いのだ。
 彼(かれ)は純子(じゅんこ)の仕事(しごと)について理解(りかい)しているつもりだった。でも、一緒(いっしょ)に住(す)んでみて、その大変(たいへん)さに驚(おどろ)いた。だから、彼女(かのじょ)が仕事(しごと)に没頭(ぼっとう)しているときは、家事(かじ)のほとんどを彼(かれ)が担当(たんとう)することになった。
 今日(きょう)も仕事中(しごとちゅう)に彼(かれ)の携帯(けいたい)が鳴(な)り、夜食(やしょく)の買(か)い物(もの)を言(い)いつけられた。でも、彼(かれ)はそれを嫌(いや)がることはなかった。隆(たかし)は純子(じゅんこ)のことを愛(あい)していたし、大切(たいせつ)に思(おも)っていたのだ。
 彼(かれ)は純子(じゅんこ)の仕事部屋(しごとべや)をちらっとのぞいてから、キッチンへ向(む)かった。テーブルの上(うえ)にエコバッグを置(お)き、流(なが)しを見(み)て驚(おどろ)いた。昼食(ちゅうしょく)の残骸(ざんがい)が無残(むざん)にも投(な)げ込(こ)まれていたのだ。
 彼(かれ)はため息(いき)をついた。その時(とき)、突然(とつぜん)後(うし)ろから声(こえ)がした。「何(なん)なのこれ?」
 隆(たかし)が振(ふ)り返(かえ)ると、穴蔵(あなぐら)から抜(ぬ)け出(だ)したような、うつろな目(め)をした純子(じゅんこ)がエコバッグからカップ麺(めん)を取(と)り出(だ)していた。その目(め)には、ただならぬものが感(かん)じられた。
「私(わたし)は醤油味(しょうゆあじ)を頼(たの)んだのよ。何(なん)でとんこつ味(あじ)を買(か)ってくるの?」
「だって、ちょうど売(う)り切(き)れてたから」隆(たかし)はヤカンに水(みず)を入(い)れながら答(こた)えた。
「私(わたし)は今(いま)、醤油味(しょうゆあじ)を食(た)べたいの。それ以外(いがい)あり得(え)ないから」
「いいじゃない。これだって美味(おい)しいって、このあいだ…」
「そりゃ、とんこつも美味(おい)しいわよ。でも、今(いま)は醤油(しょうゆ)なの。醤油味(しょうゆあじ)を食(た)べたいの!」
「そんなのいいじゃん。美味(おい)しけりゃ、同(おな)じだって」隆(たかし)は無頓着(むとんちゃく)な人間(にんげん)のようだ。
「買(か)ってきて」純子(じゅんこ)はエコバッグを隆(たかし)に突(つ)きつけて、「今(いま)すぐ買(か)ってきて!」
 隆(たかし)は純子(じゅんこ)のわがままには慣(な)れっこになっていた。でも、何故(なぜ)か今日(きょう)はぷつっと切(き)れた。
「お前(まえ)な、いい加減(かげん)にしろよ! 前(まえ)から言(い)いたかったんだけど…」
「なによ」純子(じゅんこ)は動(どう)じる様子(ようす)もなく、彼(かれ)を睨(にら)みつけた。隆(たかし)は一瞬(いっしゅん)ひるんだが、
「前(まえ)から言(い)いたかったんだけど…、朝食(ちょうしょく)の目玉焼(めだまや)きに醤油(しょうゆ)なんかかけるなよ。目玉焼(めだまや)きはケチャップだろ。僕(ぼく)がせっかく美味(おい)しく作(つく)ってるのに…」
「なに言(い)ってるの」純子(じゅんこ)は鼻(はな)で笑(わら)って、「目玉焼(めだまや)きは醤油(しょうゆ)じゃない。常識(じょうしき)でしょ。それより、早(はや)く行(い)ってよ。15分(ふん)だけ待(ま)っててあげる。もし、ちょっとでも遅(おく)れたら、もうこの部屋(へや)には二度(にど)と入(はい)れないから」
「何(なん)だよ…」隆(たかし)は背筋(せすじ)に冷(つめ)たいものが走(はし)るのを感(かん)じた。今(いま)の彼女(かのじょ)は何(なに)をするかわからない。
「分(わ)かった。行(い)ってきまーす」隆(たかし)はそう言(い)うと、部屋(へや)から飛(と)び出(だ)していった。
<つぶやき>隆(たかし)、負(ま)けるな。いつかきっと、報(むく)われる時(とき)が来(く)るから。たぶん…。
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